結婚通知




冴子が席に戻ると、課長が声をかけた。
「野上くん、きみ今、何か事件を抱えているか?」
「先日の件がちょうど片付いたところですが…」
「だったら、ちょっと手伝ってやってくれないか?
D市で発生した殺人事件の応援要請がきているんだ」

D市は東京近郊のベッドタウンである。
そこで発生した殺人事件の容疑者が、警察の包囲網をかいくぐって都内へ潜入した。
「D署では、容疑者の潜伏先についてすでに心当たりがあると言っている。
それほど面倒な事にはならないと思うが、詳しいことはD署から来た捜査員に聞いてくれ」
「わかりました」

冴子が捜査員の待つ応接室のドアを開けると、ソファにかけていた男が立ち上がって、嬉しそうに声をかけた。
「お久しぶりです、野上さん!お元気そうですね」
冴子もその顔を見て驚いた。
「まあ、北尾さん!」

北尾裕貴警部補は、冴子の7回目の見合い相手である。
殺し屋に兄を殺された過去を持つ北尾は、裏の世界の仕事人をすべて憎み、シティーハンターを逮捕しようとしていた。
ヘラヘラした外見に似合わず切れ者の北尾は、撩がシティーハンターだと見抜き、冴子と撩たちとの関係も察していたが、香のひたむきな気持ちと、撩の生き方を知って、逮捕をあきらめて去ったのだ。

「いつからD署に?」
「おととしからです。野上さんのご活躍は、どこにいても聞こえてきますよ」
「やめてください、いいかげんに嫁にいけって、いつも父にうるさく言われてますわ」
「ははは。総監殿もお変わりないようですね」
「ところで、今回の捜査のことですが…」
「はい、これまでの経過を簡単にご説明します」
北尾は手帳を開くと、敏腕刑事の顔にもどって話し始めた。



「…ということは、容疑者は昔の友だちの伝手をたどって逃げていると?」
「そうです。勘の鋭い奴で、あと一歩のところでいつもスルリと逃げられてしまう。
しかし奴もそろそろ手ゴマがなくなってきているはずです。
今度こそなんとしても逮捕したいと思っています」
北尾は広げた地図を指差した。
「次はおそらく、ここかここに現われるはずです。
この2カ所にはすでにわれわれの署の捜査員を張り込ませていますが、われわれにはこのあたりの土地カンがない。
それで本庁に応援を要請しました」
「わかりました。では、具体的な手はずの相談に入りましょう」



仕事の相談が一段落すると、北尾は再び懐かしそうな顔になって聞いた。
「そういえば、槇村香さんと冴羽はどうしています?」
「あの2人なら相変わらずよ。
そうだわ、北尾さん、しばらくホテル暮らしなんでしょ?
だったら香さんたちも誘って、みんなで食事にでも行きましょうか?」
北尾はあわてて手を振った。
「け、結構です!あの人たちには黙っててください」
歓迎会と称して、撩に連日夜明けまで飲み屋を連れまわされた悪夢がよみがえる。
「あの調子で引きまわされたら、全然仕事になりませんから」



北尾は香の兄・槇村秀幸に瓜二つの顔をしている。
だから、初めて彼が現われたとき、冴子も香もずいぶん驚いたものだ。
今回一緒に仕事をしながら、冴子はしばしば、かつてのパートナーと仕事をしているような錯覚におそわれた。

いよいよ逮捕というとき、踏み込んだ警官に向けて容疑者が突然発砲した。
まさか銃を持っているとは思わなかったので、警官たちが一瞬ひるむ。
その隙に窓から飛び下りようとした容疑者に、北尾が飛びかかった。
引き倒された容疑者が、銃を北尾に向ける。
「槇村、危ない!」
冴子の手からナイフが飛び、容疑者の腕に突き刺さった。
銃を取り落とした容疑者は、北尾の手によって無事逮捕された。

容疑者を本庁へ護送するパトカーを見送りながら、冴子は北尾に謝った。
「さっきはごめんなさい、北尾さん。
ついあなたを『槇村』なんて呼んでしまって…。
槇村は警察にいた頃、私のパートナーだったんです」
北尾はにこにこと笑った。
「知っています。どんな難事件も解決する名コンビだったと聞きました。
そんな人に間違えられるなんて、光栄ですよ」

北尾はちょっと姿勢を正して言った。
「野上さん、ぼくこそあなたに謝らなければならないことがあります」
「何かしら?」
不思議そうな顔の冴子に、
「あなたと見合いしてしまったことです。
槇村さんは、仕事のパートナーだっただけじゃなく、あなたの 恋人でもあったんでしょう?」

「北尾さん、それ、誰から…」
「ぼくと同期で、昔、野上さんや槇村さんと一緒に一課にいたやつからです。
転勤した先で偶然再会して、その話を聞きました。
もし最初にそのことを知っていたら、ぼくはあなたとの見合いは断りました」
「…なぜ?」
「死んでしまった恋人と瓜二つの男と見合いするなんて、残酷なことですよ。
つらいことを思い出させるだけだ」

「でもそれは、あなたのせいじゃないわ。
それに北尾さん、あなたは最初から私と結婚するつもりはなかったんでしょう?」
冴子が父に言われてしかたなく見合いしたように、北尾もまたシティーハンターを逮捕することが目的でに冴子に近づいてきた。
北尾は目を伏せた。
「申し訳ありませんでした。 ぼくには最初から、あなたと見合いする資格なんてなかったんです」



逮捕された容疑者はD署に身柄を移されることになり、北尾もついて帰ることになった。
明日は帰るという晩、冴子は北尾を食事に誘った。
「お疲れ様でした」
「今回は野上さんのおかげで、早く片付きました。本当に感謝しています」
北尾は少しためらったが、思いきったように口を開いた。
「これは私事なんで、言わずにおこうと思ったんですが…、実はぼく、近く結婚します」

「まあ、それは…、おめでとうございます!お相手はどちらの方ですか?」
「D署で事務をしている女性です。婦人警官ではありませんが、いわゆる職場結婚ってやつです」
「じゃあ、恋愛結婚なんですね!ステキだわ!」
北尾は照れて赤くなった。
「ぼくみたいな冴えない男に惚れてくれる女性がいたなんて、意外でしょう?」
「そんなことありません。
北尾さんはまじめで優秀な警察官ですもの。その方は目が高いわ。
お幸せになってくださいね」
冴子は心から言った。

「ありがとうございます。野上さんも…」
幸せになってください、と言いかけて、ふと北尾は迷った。
何を言っても、冴子に対して失礼になりそうな気がしたからだ。

冴子は、北尾の言いかけた言葉を察して苦笑した。
「私は、不幸せそうに見えます?」
北尾は驚いて否定した。
「とんでもありません、その逆です!
野上さんはいつも、自信にあふれて輝いている。
仕事でも生活でも、悩みなど何もないように見えます。
ぼくなんかが贈る言葉など、何もないような気がしたものですから…」

冴子は微笑んだ。
「おっしゃる通り、私は今の生活に満足しています。
そういう意味では、とても幸せですわ。
でも私だって普通の女です。
これでも、泣いたり悩んだりすることもあるんですよ」

「もちろん、そうでしょう。
失礼なことを申し上げてすみませんでした。
あなたは本当にすばらしい女性です。
健康に気をつけて、ますますご活躍されるよう祈っています」
「ありがとうございます。北尾さんも…。
また機会がありましたら、一緒にお仕事させてくださいね」

北尾は槇村ではない。
彼を知れば知るほど、冴子はその思いを強くした。
どれほど顔が似ていようと、自分が槇村に対して抱いた想いを、この男に対して持つことは決してない。

だが、北尾は槇村を思い出させる。
しかしそれは、冴子にとって彼が言うほどつらいことではなかった。
北尾が思い出させてくれたのは、楽しかった頃の思い出だからだ。
槇村と一緒に、数々の修羅場をくぐり抜けたあの頃…。
切なく懐かしいあの熱い日々を、
(思い出させてくれて、ありがとう)

「乾杯しましょう、北尾さん。あなたのご結婚を祝して!」
冴子は北尾のグラスにワインを注いだ。



秋も深まった頃、冴子のもとに、北尾から結婚を知らせるはがきが届いた。
はがきには新郎新婦の写真があった。
幸せそうに微笑む若い新婦の笑顔は、どこかしら香に似ているように思えた。
緊張気味の新郎の表情に微笑みながら、お祝のメッセージを書くために、冴子はペンを取った。

-END-


サンプル小説は以上です。このお話はサイト内にも掲載しています。

水無月のお話は、ほかにも

しのさまの「Militia」に1作
夢路可帆さまの「まぐろなまぐろ」に3作
芳香☆さまの「芳香の裏庭」に1作
はのほさまの「moon ride」に3作

掲載していただいていますので、ご覧ください。

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Photograph:White Garden